日本・トルコ協会 | The Japan-Turkey Society

 
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■07 テオドシウスの城壁



447年に地震で大部分が破壊されてしまったが、アッティラ大王率いるフン族が迫っていたため急遽再建、2ヵ月後に完成した。内城壁は厚さ5m、高さ8-12mで、内城壁と外城壁の間に幅15-20mの通路がある。外壁は厚さ10m、高さ8.5mで、その外側に高さ2mの胸壁、外城壁の外には幅20mの濠がつくられた。96の高さ18m-20mの物見塔は内壁と外壁に交互に55mおきに配置されており、そのほかに、小さな秘密扉、一般用と軍事用の門が各5で計10の門が設けられた。コンスタンティノープルは616年と626年にペルシア、717-718年にアラブ、813年にブルガリア、864年と904年にロシア、959年にハンガリー、1043年に再びロシア、1391年と1422年にオスマン帝国から攻撃を受けたが、いずれもこの城壁を破ることはできなかった。


市内から見たテクフルセライとケルカ・ポルタ門


プルケルナイ宮殿の城壁(右端がイサク・アンゲルスの塔、その左側がアネマスの牢獄)

イェディ・クレから見たテオドシウス城壁

 



■06 ドルマバフチェ宮殿



西洋的な外観と内装で、トプカプ宮殿とは趣がかなり異なる。バロック、ロココ、ネオ・クラシックにオスマン帝国風のミックスされたスタイルである。1.5万m2の宮殿は公的部分であるセラムリッキと私的部分のハレムリッキに分かれており、44の広間、6つのハマム(風呂)を含め全部で285室ある。内装に使われた金は14トン。ボヘミアン・クリスタルを使った世界最大のシャンデリア、バカラやラリック製のクリスタルを使用したシャンデリアが内部を灯す。
ビザンチン時代の小さな港をメフメット2世が埋め立て王室の庭園が作られていたため、ドルマバフチェには、「海を埋め立ててつくられた庭園」という意味がある。
1926年後のトルコ共和国建国後は、アタテュルク初代大統領のイスタンブル滞在中の執務室兼住居として使用された。1938年11月5日にアタテュルクが息を引き取った部屋は当時のまま保存されており、時計の針は今も午前9時5分を指している。


思わずため息がでる豪華な数々のシャンデリア


凛々しい衛兵の交代が見られることも

山田宗徧氏によるアタテュルク大統領とエルトゥールル号遭難者のための追悼茶会が行われた(1977年)



■05 グランド・バザール(カパル・チャルシュ)



1453年のコンスタンティノープル征服直後に、メフメット2世によって建てられた巨大な迷路のような屋根付ショッピングモール、「グランド・バザール」。建設当初はイチ・ベデステン(内市場)またはエスキ・ベデステン(古市場)とサンダル・ベデステン(サンダルとはブルサの布地模様のこと)のふたつでしたが、やがてその周りに作業場や店が作られ、17世紀に入ると通路を含め、それらに屋根がかけられました。現在は東西約45メートル、南北約29.5メートル、8つの大ドームと7つの小ドームのある建物で、内部には4000軒もの商店やレストラン等があります。
かつては同業種の店が同区画に並んでいましたが、今は混在しているので、宝探しをしているような気分が楽しめます。アンティークの宝庫、中央のオールド・ベレステンでは、掘り出し物に出会えるかもしれません。
貴金属、絨毯、キリム、陶磁器、銀製品、銅製品、真鍮品、皮革製品、布製品、ガラス製品など、あらゆるトルコの名産品が売られていますが、値札がついていないため、お気に入りをみつけたら、値段の交渉をしなくてはなりません。このパザルルック(値引き交渉)もグランド・バザールでの楽しみのひとつです。


記念に欲しくなってしまう、可愛いチューリップ型のチャイグラスのセット


トルコ中の名産品が所狭し、と並んでいる。呼び込みの声でとても賑やか

ショッピングに疲れたら、中にあるカフェでひとやすみ




■04 ブルー・モスク(スルタン・アフメット・ジャーミー)



信仰心が厚いオスマン朝第14代スルタン、アフメット1世が、ミマル・シナンの弟子メフメット・アァに建てさせたスルタン・アフメット・ジャーミー(通称:ブルー・モスク)は、1616年に7年の歳月を費やして建設されたオスマン建築の傑作といわれています。高さ43メートル、直径27.5メートルのドームはビザンティン芸術の伝統を受け継ぎ、6本のミナレットがその壮大さを象徴しています。
外観もさることながら、圧倒的な美しさを誇るのはその内観で、16~17世紀のイズニック窯の幾何学模様の美しいタイルが21,043枚使われ、260ある窓のステンドグラスからは光が内部に降り注ぎ、神秘的かつ荘厳な雰囲気に包まれています。
6本のミナレットにまつわる逸話をひとつ。スルタン・アフメットは、「アルトゥン(金)のミナレットを建てよ」と命じたところ、建築家が聞き間違え、「アルトゥ(6)」のミナレットを建てたとか。当時、6本のミナレットは聖地メッカのカーバ神殿にしかなかったため、恐縮したスルタンは、メッカに7本目のミナレットを寄贈したのだそうです。


回廊に取り囲まれている中庭。中央の大理石の泉で信者は祈りの前の清めを行う。


窓のステンドグラスとグラス・ランプの仄かな光がモスクの内部を照らす。

世界で最高に美しいモスクといわれている。夏には光と音のショーが行われる。




■03 トプカプ宮殿(バービュスセラーム あいさつの門)



1453年、メフメット2世はビザンツ帝国の都コンスタンティノープル(現在のイスタンブル)を征服しました。1467年に建てられたトプカプ宮殿は、以後、1839年にドルマバフチェ宮殿に移るまで、オスマン帝国歴代スルタンの政務の場と居城を兼ねていました。内部は国政を行う場である外廷(ビルン)と呼ばれ、私生活の場は内廷(エンデルン)と後宮(ハレム)に分かれています。
外観は比較的質素だという印象があるトプカプ宮殿は、現在は美術館として当時の調度品などが公開されています。豪奢なスルタンの宝石類や衣類、調度品、カリグラフィー、イズニックのタイルやキュタヒヤの陶器類には目を奪われます。
イスタンブルはまた「陶磁の道」の終着点であったため、スルタンの中国陶磁器や約700点あるという日本の伊万里焼、九谷焼、瀬戸焼等のコレクションも大変見ごたえがあります。


トプカプ宮殿からマルマラ海を望む。写真の絶景ポイント。


イフタールのポーチ。スルタンが断食中の日没後最初の食事(イフタール)をここでとったという。

ハレムの「帝王の間」。スルタンが側近達を集めて宴を催していた。




■02 アヤ・ソフィア大聖堂



イスタンブルの旧市街地に堂々と建つ赤い外壁のアヤソフィア大聖堂。コンスタンティノープルの総主教座としてローマ時代に建設されましたが、天災や反乱等により破壊され、現在の建物は537年(ビザンツ時代)にユスチニアヌス帝によって再建されたもの。
オスマン帝国時代はモスクに改修され、内部のモザイクは漆喰で塗られ、聖堂内はミフラーブ(メッカの方向を示すもの)が、外部にはミナレット(尖塔)が設置され、モスクとして使用されていましたが、トルコ共和国建国(1926年)後、初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクがアヤソフィアモスクを1934年に博物館に変えました。
アヤ・ソフィアには地上55メートル、直径33メートルの巨大なドームがあり、今では漆喰に隠されていたビザンツ芸術の素晴らしいタイルを鑑賞することができます。モスクの内装とビザンツ芸術が共存する姿は、世俗主義国家トルコを象徴しているといえるでしょう。 なお、修復作業には、日本の研究者が深く関与しています。


 
■01 第二ボスポラス大橋




イスタンブルにあるアジアとヨーロッパを結ぶ橋、第二ボスポラス大橋。日本のODAのもと、IHI、三菱重工業、日本鋼管、伊藤忠商事と現地の企業の協力により1988年に建設されました。全長1,510メートル、幅39メートルの、車両専用(8車線)の吊り橋です。イスタンブルの町の人々には、「日本とトルコの友好のシンボル」として知られています。 この橋には、日本人とトルコ人の作業員が見事な連携により、予定よりも半年も早く完成したというエピソードがあります。トルコ人の勤勉さや、日本人とトルコ人のチームワークの良さを象徴しています。現在は㈱IHIが日本政府のODAで耐震補強工事を行っています。なお、同じ年に開通した瀬戸大橋とは姉妹橋にあたります。  この「第二の橋」のそばには、オスマン帝国のメフメト2世が建てた要塞ルメリ・ヒサルがあり、美しい景観をつくっています。

 

 






 
 
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